片手の無いカエルとカナヅチハンター

スポンサーリンク

 私は小学校6年生になるまで泳ぐことができなかった。幼少期に家族で海に行ったとき私は波にのまれ浮き輪ごとひっくり返り溺れたからだ。幼稚園に入園するも毎週水曜日のブールの時間が億劫で朝から教室の隅でいじけて泣いていたのを覚えている。海や川大きなプールで顔を水につけることができず、あまりにも進歩がないので先生に無理やり水中に沈められたこともあった。今思うと「無理やり」というのは私には逆効果で余計に水が怖くなった。水曜日が怖くなった。

 小学校に入り近所の池で魚を釣ったりカエルを捕まえたりと水辺で遊ぶことが多くなった。そのおかげもあり、いつの間にか水への恐怖はなくなり学校のプールの授業でも潜って遊ぶことができるようになっていた。相変わらず泳ぐことはできないままだったが生き物が大好きだった私は遊んでいるうちに水と水辺が大好きになっていた。

 小学3年生の梅雨いつものように朝から池に遊びに行くと私は片手のないヒキガエルを見つけた。過去に野良猫にでもやられたのだろうか左手首から下がなかった。弱ってでもいるのか様子を見たくて虫網で捕まえようとするも、カエルは私に気づき後ろ足で力いっぱい水を蹴り右手で上手く舵を取りあっという間に池の奥深くへ消えていった。他のカエルと全く引けを取らない素早く綺麗な泳ぎだった。私は片手がないにも関わらず懸命に泳ぎ生きているそのヒキガエルの姿が見えなくなるまでただただ見ていた。野生で生きていくということは捕まる=死なのだ。言い訳なんてできない厳しい世界。子供ながらに感じるものがあった。今でもそのヒキガエルのことは目に焼き付いている。

 小学校6年生にもなると遊び場の行動範囲は広がり友人と自転車で大きな川に遊びに行くことが多くなった。私たちは川の流れが緩やかで深さは1mほどの安全な場所を見つけそこに秘密基地を作った。夏になると水遊びが流行り皆クロールを習得していて自由に水の中を進んでいく。私だけカナズチだった。クロールを見様見真似でやってみたがぎこちない。犬かきをしても沈んでいく。友達から体の力を抜いてなど色々アドバイスももらえた。数日たっても全く進歩がなくどうにかして泳げるようになろうと自分で考えてみた。その時あのカエルの泳ぎを思い出した。両足の裏で思いっきり水を蹴り前足で舵を取るあの綺麗な泳ぎを。私はあのカエルを真似て泳いでみた。足の裏で水を思いっきり蹴り手は舵を取るだけ。それは上手くいき1時間もしないうちに私は平泳ぎができるようになった。正しい泳ぎ方ではないのかもしれない。しかし私は自由に泳ぐことができるようになった。

たくさんの自然や生き物と触れ合ってきた中にヒントやきっかけはあったのだ。上達への近道は自分で考え気付く事なのかもしれない。ヒントは今までの経験の中に隠れている。それは片手のないカエルかもしれないし今日の晩御飯かもしれない。何がきっかけになるかわからない。だから今日という一日を大切に胸に焼き付けて生きていきたい。そう思うのです。

ツイッターで写真や動画を頻繁に投稿しているので、よければフォローお願いします!

コメント

タイトルとURLをコピーしました